泣いてなんかやらないし!


   002:痛みを伴う

 年齢による軽視はあんがい根深いものだ。直接的に戦闘へ関わるのだとしてもハーノインたちの歳若さは重厚な施設や装備を遠ざける。見栄と虚勢に満ちたそれらに倦むからハーノインは別に構わないと思っている。だからハーノインが同僚とゲラゲラ笑っても注意する大人はいない。
「献立見たか? 卵料理だって」
隣のイクスアインは眼鏡を拭う手を下ろしもせずにそうだなと相槌を打つ。携帯用の端末を操作すると情報が見れる。本来あてがわれていない機能だが彼らは優秀だ。欲しければそれなりの手段を踏むし、その際に正負を問うような行儀の好さはない。ハーノインがイクスアインの端末を覗きこんだ。
「オムレツかハムエッグね。どうせ卵ならカルボナーラぐらい振舞ってほしいな」
「それはすでに違うジャンルの料理だろう」
「ベーコンとクリームが入るだけだろ。ハムエッグだってハムが入る」
くだらない事で言い争うのは信頼の証だ。イクスアインは冷静に指摘した。カルボナーラはパスタだろう。卵料理じゃない。作りもしないくせに。不満気に吐き捨てるのをイクスアインは気にもしない。レシピを調べない奴の台詞じゃないな。
 細い指先が更衣室の解錠手続きを踏む。ハーノインたち軍属少年たちへの義理と理由として更衣室は別室で施錠や端末も接続できる部屋を与えられた。自動施錠タイプであるから扉が閉まるたびに鍵がかかる。解錠手続きが面倒でも厄介者が入り込まないからイーブンだ。流れる動きで部屋へ入るイクスアインにハーノインも続いた。更衣室に誂えられた簡易ベンチにだらしなく座っているのはクーフィアだ。まだ成長期を迎えない華奢で小柄な体躯。着替えは済ませて制服だが手元の携帯ゲームをしきりに揺らす。イクスアインとクーフィアは互いに無関心だ。ハーノインも自分の割り当ての場所へ行く。少し古風な鍵を解いて着替えを始める。シャワーくらい誂えてくれりゃあいいのに。シャツを脱ぐと息をつく。紅い襟と袖口へ階級が縫い付けられている制服は威嚇だが着こむことになるから面倒だ。着ることに意味があるから機能性が低い。それでもそれがなければただの子どもとしての誤解を生むのが頻繁だから怠る訳にはいかない。
「ハーノイン、ほくろがあるよ」
指摘するクーフィアの高い声に振り向こうと体をよじる。瞬間に躍動した脇腹を鷲掴まれてびくびくと反射的に震え上がった。頓狂な声が出なかっただけ自分を褒めたいくらいだ。
「どこにあるんだよ」
「見えないとこ」
クーフィアは凶暴に口元を弛めた。幼さと大きな目が歪んで年齢や人の好さを帳消しにする。もともと自分の欲望を隠さないクーフィアだがひどく露骨だ。裸の肩甲骨をべろりと舐められて跳ね上がる。ばたんとロッカーへ体を押し付けられる。脊椎を舐るクーフィアはうっとりと恍惚だ。このままやっちゃおうか。忙しなく腰紐を緩めようとする。こんなところで裸に剥かれる訳にはいかない。しかもこんな年下に。十代での歳の差は周りが思うよりずっと隔たるものだ。
「面白いことをするな」
玲瓏とイクスアインの声が響いた。ヤッバイ忘れてた。眼鏡の奥の紺紫の瞳はきつく二人を責める。慌てるハーノインをよそにクーフィアはゆらぎもしない。面白いんだったら見てれば。なにを? ハーノインの痴態さ。
 がつんと膕を砕かれて脚が折れる。ストンと落ちるハーノインの重心をクーフィアは上手く流した。成すすべなく這いつくばるのをイクスアインは助けもしない。ハーノインの上へクーフィアが覆いかぶさってくる。訓練後の着替え中の襲撃であるから軽装どころの話ではない。しかも他の同僚であるアードライとエルエルフの助けは見込めない。二人ともハーノインが引き上げる前に切り上げていたから戻ってくる可能性は限りなくゼロだ。更衣室が施錠タイプであるのが恨めしい。じたばたともがくのをクーフィアは背後を取った優越で蔑んだ。
「どうしたの。まさか怖いとか言うの?」
「い、くす…!」
思わずすがるように掠れたハーノインの声にイクスアインは理知的に微笑む。どうした、ハーノ。友好的に穏やかな声だがハーノインを助けるつもりがない。付き合いが長いのでその辺りの機微には敏感だ。え、何を怒ってるんだよ。怒ってはいないな。興味が有るだけだ。なにそれ。ハーノがどんな声や顔で他人に泣かされるのかってこと。
 小さな手がハーノインの脚の間を掴んだ。震えて叫ぶ。背骨の撓りをぐりぐりと膝で圧してくる。クーフィアの手段は確実で残忍だ。息をつまらせて難渋するのを嗤う。
「冗談…!」
「本気だよ」
がり、とクーフィアの歯が耳の軟骨に歯を立てた。奔る痛みがハーノインの意識をつなぎとめる。どろりとねばつく液体が耳の裏を撫でていく。もっと痛いことするよ。縮こまってる。協力してくれたら痛くないよ。
  小さな手は傍若無人に振舞った。ハーノインの制止など毛ほども影響しない。口を開くたびにあられもない嬌声が漏れた。みっともないと思う前に怒涛の本流に息を継ぐので必死だ。脚の間の手はせぐように乱暴に動きまわる。何か意図があるのかもしれない。熱に埋まりつつある思考を何とか総動員する。決定的な亀裂を作るほどハーノインはクーフィアとイクスアインを見限ってはいない。可能性と現状とを吟味する。イクスアインがおとなしいのもおかしい。イクスアインは領域を侵されるのを嫌うし年長者として周りを気遣うだけの余裕もある。クーフィアが自分勝手なのはいつものことだが手つきには遠慮がある。ハーノインを痛めつけたいならもっと手段があるはずだ。クーフィアは道具を使うことを躊躇わない。
 白い手がハーノインの胸を撫でる。反応して尖ったそこを転がしたり摘んだりする。腰へ響く刺激に逃げようとしても覆いかぶさるクーフィアで逃げられない。まだ目方もないから跳ね除けられると思うのにつぶらな紅い目は庇護欲をそそる。そんなことしないよね?
「…ぁ………ッ、ふ…」
肩をつかむクーフィアの爪が食い込む。表情一つ動かないイクスアインの視線が刺さる。自己反省するような行儀の好さはない。また駄目なのかな。特別な養成機関の出身である肩書きは同時にある程度の非人間さの証明だ。組まれたカリキュラムをこなして爆発的な成長さえ迎えない骨ばった手が紅く黒く染まる幻影が視える。戦闘機の訓練。白兵戦。機関は無関心という甘ささえ与えない。ハーノインの目の前が染まってく。紅く黒く白く、鼻を突く悪臭。ヒトッテシヌトクサイナァ。
「なにを見てるの?」
同じような訓練をこなしてきたはずのクーフィアには惑いも揺らぎもない。未熟はそれゆえに大胆だ。遠慮がない。
「どうした、ハーノ。好きなだけ泣いていいぞ? 鍵がかかっているから邪魔は入らない」
「…イクス、アイン…!」
ぎしりと噛み締めた歯が鳴る。クーフィアの繊手がハーノインの髪を掴んで引っ張る。山吹と栗色が斑に白い手を覆う。皮膚が引き攣れてひどく痛い。顔がゆがむのをクーフィアはうっとり眺めた。幼く紅い舌がべろりと頬を舐める。
「涙もこぼさないなんていいな。そういうのすごいゾクゾクする」
跳ね起きるのをクーフィアは巧みに体重をかけて阻む。肺を圧されてぐぅっと喉が鳴った。
「たまんない。本当に犯していい?」
振りぬいた手の甲がクーフィアの頬を直撃した。幼い体が傾ぐ。イクスアインが身を乗り出した。圧迫から逃れたハーノインの手が床へ落ちていた自分の制服を探る。反射的に握ったのは拳銃だ。ハーノインたちはその年齢からいわれのない暴力にさらされることもあって自衛手段としてそれぞれ得意の獲物を持ち歩く。
 ぼた、とハーノインの裸の肩が濡れる。クーフィアの噛みちぎった場所だ。嵌めているピアスが紅く斑に染まっているなど気づいていない。肩を入れた構えは本気だ。イクスアインは何事か言いかけて結局黙った。
「きれーなかお!」
発条仕掛けのように跳ね起きるクーフィアは痛みなどないように目を見開いて口を裂いた。クーフィアが人を殺す時の顔だ。
「ハーノイン! その目も顔も髪も全部全部綺麗だボク好みだよ! いつも睨んだりしないから新鮮だね。悪くないや」
クーフィアの頬が目に見えて腫れていく。体勢と状況として手加減はしなかった。がちり、とクーフィアの袖から飛び出す拳銃がハーノインの眉間へ合わされる。
「ボクのものになってよ」
クーフィアの紅い目は収束して見開かれる。ハーノインの碧色の双眸は眇められて臨戦態勢の獣だ。愉悦に裂けるクーフィアの幼い口元。引き結ばれるハーノインの唇。空気が、慄え。

 「ストップ。両方共冷静になれ」

均衡を崩したのはイクスアインだ。あっさりと無造作に二人の弾道を遮る位置へ踏み出す。眼鏡の奥の紫がクーフィアを見た。
「クーフィア。これは聞いてないぞ。話が違うな」
「はなし?」
ハーノインは構えたままでイクスアインを問い詰める。イクスアインは体をクーフィアの方へ向け、首だけをかしげるようにハーノインを見た。眼鏡が白銀にきらめく。沈黙の返答にハーノインの方も動揺した。何より銃を構えた手前、収まりがつかない。クーフィア。イクスアインの辛抱した声にクーフィアはあっさりと銃を放り出す。
「判ったよ。ボクもちょっと熱くなっちゃった」
だって想像以上にハーノインが可愛くて愉しいんだもの。一人だけ意味の判らないハーノインにイクスアインは微笑んだ。
「クーフィアと悪巧みをした。お前を性的に驚かせるつもりだった。一線は引いたろう。ズボンは脱がせてない」
呆れと怒りで言葉がない。喉元で言葉の摩滅と渦を繰り返すハーノインをよそにクーフィアがそうそう、などと続く。
 「ハーノインってば全然ボクと遊んでくれないんだもん。イクスアインばっかりズルいよ」
「…イクスは同期じゃん」
「年齢で区別しないでよ!」
ぶぅうっとクーフィアがふくれっ面をする。腫れた頬がますます膨らんだ。
「ハーノ」
冷静な分析を得手にするイクスアインの顔が優しくほころんだ。
「こわかったか?」
体の底から駆け上がってくる熱は羞恥だ。イクスアインは全て知っていると微笑んでいる。耳や首まで真っ赤にして言葉をなくすハーノインにイクスアインはニヤニヤ笑う。それは陰湿なものではなく親しみゆえのわがままと遠慮のなさだ。
「ハーノのああいう顔も好きだが。お前はいつも本気にならないから」
アードライとエルエルフのぶつかり合いが羨ましいよまったく。肩をすくめて目配せするイクスアインにハーノインは脱力した。まぁあの二人だってわりと一方通行なんだが。わりとっていうか完全にアードライがから回ってるんじゃない? クーフィアがあっさりつっこんだ。
「…なんだったん」
「ハーノがオレを構わないのが悪い」
「ハーノインがボクの相手してくれたらいいんだよ」
へたりこむハーノインの元へ二人が歩み寄る。にやっとわらった。
「気づいてくれた?」


《了》

わりと楽しかったとかね            2013年8月5日UP

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